「恥の文化最高」

昔、教養で取った社会学の授業を、
ほんわか気分で聞いていたら「恥の文化最高」
と連呼していてのでそんなに最高なのか?
と感じていましたよ。
「恥の文化再考」なんですね・・・

     黒板使いましょうよ教授

       
       で、今日は


記号としてこの現実社会を考えてみようと思います。

まあ、人は何かを感じ取って行動しますね。
何もない世界で行動するのは不可能ですからね。

基準とか模範が存在して社会が成り立つんですね。
だから国によっても物の考え方が違うんですね。

   じゃあ記号とはなんでしょうかね?

ん〜・・・「言葉」ですね。
例えば目の前に「水」という物体があって、
それを「言葉」という記号を使って、
認識するということですよね。
英語圏なら「Water」ですね。

「恥」を偲ぶ文化なのが日本。
「個人主義」文化なのがアメリカ。とかですかね?

    とっても小難しい文章ですね

     じゃあ簡単バージョンを

結局記号を捉えるということは、
日本人でも世代によっても違うじゃないですか。

世のオジサン方は自分の記号を押し付けすぎです。
今だに茶色い髪の毛を認めなかったり、
男はこうあるべきだ!
今勉強しないと将来きっと苦労する!
なんていってる人もいて。
 
   それは、あなたの認識する記号ですよ

押し付けてはいけませんよ。
日本のニワトリが「コケッココー!」
外国のニワトリを「グワッグルルルゥー!」

これ外国の人に
「お前!ニワトリはコケッココーだろ!」
なんてお間抜けなこと叔父様いえますか?

髪の毛が茶色いのもニワトリが鳴くのも同じこと。
迷惑なんてかけてませんよね?
あれ?かけてるかな?不快に思うということは??

    これが記号の違いですよ


で、結論!
「なんか、新聞の下の方にある文章みたいです」

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